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角川の生い立ち

 

角川地区の概要

角川地区の概要
 
地域の概略
 角川地域は山形県戸沢村(人口約5,400人)の南に位置し、四方を山々に囲まれた典型的な農山村地域です。1000m級の月山前連山を源流とする「角川」とその支流沿いに14の集落が点在し、285世帯・900人余りが暮らしています。
 
 
角川地区の歴史
戸沢村史によると、江戸時代には角川村は古口郷に属し、田畑は60町歩余り、家数137軒・人口800人(文化9年・1813年)。枝郷としては、中沢・荒屋敷・稲村・小山・滝の下・鹿の沢・楯下・十二沢・三ツ屋・赤木・山本・中島・砂田・門前・佐越・畑村・真ヶ木沢・田代・綱取・本屋敷・悪戸・長倉・与呉屋敷・片倉・平根・勝地・高畑・上畑・岩木・岩野・沢内・沼田の32ヶ村を数えました。この時代の主な産業は農業で、炭焼き・狩猟・養蚕等が行われていました。
 昭和28年、政府は合併促進法を制定し、これを受け山形県は町村の適正規模を人口8,000人以上とする指針をまとめました。現在の戸沢村が誕生したのは「昭和の大合併」の時期、昭和30年4月1日です。当時の人口は、角川約2,600人・古口約3,800人・旧戸沢約5,000人、合わせて1万人をこえていました。
 
 
名勝・旧跡
◆山岳信仰と今熊野神社・月山登拝道
 紀伊熊野山地で開かれた阿弥陀如来・薬師如来・観世音菩薩を祀る三尊神仏習合の熊野信仰は、阿弥陀如来の化身とされた熊野権現によって全国に勧請され、その結果、各地に熊野神社が建てられました。角川地方にいつどのような姿で広められたかは定かではありませんが、熊野修験者達によって今熊野神社が神亀元年(724年)に建立されたようです(今熊野大権現縁略起より推察)。これら修験者の行場として、今熊山・施行台(杉の台)・淨の滝、さらには出羽三山へと続く登拝道がつくられました。
 月山は天照大神の弟神の月読命と阿弥陀如来、羽黒山は伊で波神・倉稲魂命と 観世音菩薩、湯殿山は大山祇命・大巳貴命・少彦名命と大日如来がそれぞれに神仏が一体となって祀られています。これらの御山への登り口は月山八方八口と呼ばれ、肘折口(大蔵村)・本道寺口(西川町)・大井沢口(西川町)・岩根沢口(西川町)・大網口と七五三掛口(旧朝日村)・荒沢口(旧羽黒町)と角川口でした。
 文献では角川口についての記載がほとんどなされていません。これは、羽黒は蜂子皇子の昔から全国に栄えた修験場でしたが、角川も四十八坊の大道場として羽黒に劣らぬ権勢を誇るようになり(宝永6年・1709年の三山行者数36,304人)その登山口争いのため羽黒山側により、角川口道筋の鉄鎖が断ち切られ道が閉ざされたのでは??との一節があるためではないかとも思われます。
久しく閉ざされた月山登拝道は平成の世(平成6年)に再び道が開かれました
 
 
 
 
淨の滝
 月山登拝道の道すがらにある高さ80mの滝。両側に柱状節理の高さ150mはあろう岩壁がそびえます。岩肌には村の花に指定されているヒメサユリがしがみつくように咲き誇る(6月上旬が見ごろ)。かつては、この滝で修験者などが身を淨めました。工事用道路の終点から徒歩で30分あまりで到着します。
 
 
 
御池
 今神温泉の奥にあり、温泉から徒歩で30分。海抜400m・周囲630m・最大水深7mの火口湖です。どんなに日照りの年も、また大雨の時も水の量は一定して増減がありません。三方険しい岩山に囲まれている仙境で、ここには龍神がすむと信じられ、干ばつの年は遠くの村々から雨乞いにきました。御池を汚したり、舟を乗り入れたりすると、この龍神が怒りだし、麓の村を流すほどの大雨を降らせると恐れられています。
 また、御池にはモリアオガエルやルリイトトンボなど貴重な動物が生息しており、周辺はブナを主とする落葉広葉樹林が原生に近いまま保存されています。今神山一帯が特別鳥獣保護区・自然環境保全地域に指定(昭和50年)されています。
 
 
 
 
◆角川の大杉
今熊野神社の境内にある杉の巨木で『角川の大杉』とよばれています。幹周り約9.72m、高さ42mに達する。神社創建時から共にあったものと考えられ、樹齢は1200年を超えており、地元の人々には神木として崇められています。昭和27年に山形県指定の天然記念物となりました。
 
 
◆平根のコナラ
 相次いで巨木が発見されている最上地域の中で、当地区では『平根のコナラ』が唯一全国ランキングに入り(第2位)、幹周りは6.05mに及びます。広大な山地を抱える角川にはまだまだ巨木が隠れているかも?しれません。
 
暮らし・文化
◆炭焼きの隆盛
 角川木炭の声望の高さは、県の品評会で優勝のほか、全国優勝していることにも表れています。最盛期には他の地域の業者が名指しで求めたり、同じ等級でも他産地より高値で取引されていました。
角川地区の炭焼きは、江戸期には行われていました。しかし、その当時は自給用かせいぜい近隣の需要に応じる程度の小規模なものでした。当地区で木炭生産が活況を呈したのは古口に鉄道の駅ができ、陸羽西線開通(大正2年)後の大正中頃からのようで、最も製炭の盛んになった大正12年は、出荷量は37万貫目、実に125の炭窯が存在していました。大正末期の冬、角川から古口駅の倉庫に出荷するときのそりの列は3kmも続く見事なものであったそうです。戦後もしばらくの間、製炭は当地域の重要産業であり、声望の高さは変わりませんでした。昭和25年の全国品評会では羽賀巳與吉氏(片倉)が優勝に輝き、当地域の技術の高さを物語っています。現在では田舎体験塾つのかわの里で造った炭窯が稼働しています。
 
◆マタギの里
 角川地区の狩猟文化は明治・大正の時代においても盛んで、『増訂最上郡史』では角川村の主要生業のひとつに数えられています。さらに熊狩りに使われた『タデ』や火縄銃をはじめ、さまざまな狩猟用具が残されていることも当地区の狩りの盛んであったことを示しています。猟友会会員が昭和50年代半ばには150名程おり、最上郡内で最も多い地区であったようです。
 狩人は山に入ると、日常村で使っている言葉を忌み、独特の言葉(山言葉)を使います。これは、山中で危険を犯して獲物を追うという仕事の厳しさに基因すると考えられます。山の神から豊かな獲物を恵んで貰うには、これに応じた厳しい物忌みが必要であり、ここに狩人独特の禁易緯忌・信仰・マタギ文書などが生まれました。今では山言葉はほとんど使われておらず、狩猟をする人も10数名になっています。
【例】 鉄砲~スルべ、死ぬ~サシトッタ、うさぎ~スガネ、犬~セタ 
   かんじき~ハキアセ、かしき~サッテイ、焼き飯~アンモン     
   シカリ~集団で狩りをするときの総指揮者
田舎体験塾つのかわの里
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角川481-1
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TEL.0233-73-8051
FAX.0233-73-8051
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東日本大震災で被害を受けられた方々とともに今回熊本を中心とした九州でも被害を受けられた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
頑張ろう東北!頑張ろう九州!!
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